今回は前回の続きで、

「キリングフィールド」について書いていくね!

 

前回記事「トゥルースレン虐殺博物館」についての記事はこちら

 

*以下結構悲しい&グロテスクな話になるので、苦手な方は今回の記事は読まないでください。

 

 

まずは前回の記事でも書いたんだけど、カンボジアの血塗られた歴史について書いとくね。

⬇︎前回記事と同じなので読んでくれたよって方は飛ばしてね。

 

カンボジアの血塗られた歴史

 

まずはカンボジアの血塗られた悲しい歴史について少し説明。

皆さんはカンボジアの大量虐殺の歴史について知っていますか??

1975年〜1978年の約3年間にクメール・ルージュ政権(カンボジア共産党)によるジェノサイド(大量虐殺)があったんです。

この3年間のうちに約200万人が惨殺された。。。

(当時のカンボジアの人口の3分の1)

約40年前だよ、、、、、しかも人口の3分の1って、、、

 

ここで最初にこの当時のカンボジアの背景を知っていて欲しいので書いときます。。。

 

1970年。ベトナム戦争の戦火が隣国のカンボジア内に飛び火し、アメリカの空爆によって農村部の数十万人が犠牲になり、国内難民が100万人が超えた。カンボジアに投下さえた爆弾の量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した爆弾の量の3倍だったと言われてる。

 

そんな当時のカンボジア国内では、

 

アメリカの言いなりだった当時の政府

VS

反政府組織のポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)

 

という内戦が勃発していた。カンボジア国民は当時の政府に不信感を抱いていたので、クメール・ルージュは力を徐々につけていった。

1975年 カンボジアを苦しめていたベトナム戦争が終戦。

アメリカが撤退し、アメリカの言いなりだった当時の政府は力を失い、クメール・ルージュはカンボジアの政権を奪った。

 

そして政権を奪ったクメール・ルージュが掲げたものは

「原始共産主義」という階級も格差もなく、人間が紙幣や学問、宗教、科学などのものを持っていなかった時代。

つまり原始時代を理想とする思想だった。

 

クメール・ルージュの最高責任者ポル・ポトは最初に通貨を廃止し、カンボジアに住む全ての人の財産や身分を略奪した。

戦争による食糧危機をどうにかするため、都市部に住む人々や難民を強制的に農村部へ移住させ農業を強制的にさせた。

この農村部への移動でも多くの人が飢餓で亡くなったという。

 

次にポル・ポトがした事は「知識人の根絶」

原始時代に戻ろうとしているんだから、知識のあるやつは殺してしまおうと考えた。

医者や教師、技術者。本の読める人、メガネをかけている人、手が柔らかい人(農業してないから)などを次々に捕らえ殺していった。

 

その捕らえられた人を収容していたのが、

この政治犯収容所施設。現在の「トゥルースレン虐殺博物館」

当時の名前は「S21」

 

そしてこのS21では、やってもいない罪をきせられ、拷問により認めさせられる。

罪を認めたらこの「キリングフィールド(処刑場)」に連れてこられるという仕組みだった。

簡単な説明だったんですけど大体の歴史はわかりましたか、、、、???

 

カンボジの負の歴史「キリングフィールド」に行ってきた

 

よしっここから本題。

トゥルースレン虐殺博物館に行った後、そのまま「キリングフィールド」に行ってきたよ。

 

「収容所」➡︎「処刑場」

この流れで見てきたけど、当時だと考えると震えるな。。

 

だって当時でこの流れだと、

トゥルースレン収容所で拷問➡︎自白➡︎キリングフィールドへ➡︎殺される

ってことだもんね。。

 

キリングフィールドに着いたら、トゥルースレン虐殺博物館の時と同じように音声ガイドを受け取って中へ。

 

また音声を聞きながらスポットを回っていく

 

当時の 自白した人たちが連れてこられる様子。

 

 

この時の心境とか考えると言葉でなかったな、、

 

 

キリングフィールドはこんな感じで穴がたくさん掘られていて、この中にたくさんの死体が入れられてたんだって。。

 

発見当時はしたいによる腐臭とガスで想像を絶する光景だったて言われている。。

 

 

 

 

当時のカンボジアにはこのようなキリングフィールド(処刑場)がいくつもあり、

この拓磨が訪れたプノンペンのキリングフィールドでも、約2万人が穴に放り込まれてたんだって、、

 

 

⬇︎通称「マジックツリー」

連日この木にぶら下げられたスピーカーから革命歌が流されていた。

叫び声を消すため、周囲の人たちに処刑場だとバレないようにするため、

様々な目的があった。

 

⬇︎キリングツリー

ここが1番残酷だったな。

通称「キリングツリー」

なぜこのような名前がついているのかというと、

この木に赤ん坊が頭を打ち付けられて殺されていたから。

両足を掴んで頭を木に打ち付けていた。しかも母親の目の前で。

 

木の幹には脳みそが散乱していたという。。

 

また、この木の周囲には若い女性が100人以上埋められていた。

 

 

、、、裸の状態で。

 

 

 

音声ガイドにはその場所の説明だけではなくて、生き残った人たちのエピソードも入ってるんだけど、その話が残酷すぎて心が痛かった。。

 

生まれたばかりの我が子と離れ離れになった母親の話

 

 

自分のために犠牲になったおじいちゃんの話

 

 

もらったバナナを食べていただけで目の前で人が殺された話

 

野原で裸にされ、十数人から辱めを受けた女性の話

 

 

本当に考えさせられた。

 

 

この場所でこんなにも残酷なことが起きていた、、、しかもわずか40年前に

 

 

 

教科書やテレビではわからないリアルがここにあった。

それが大きすぎてしばらく受け止めきれなかった。

 

 

自分の見たこと思ったこと感じたことをうまく表現できないけど、少しでもこのリアルを後世に伝えていけたらいいなって思う。

 

戦争や悲惨な事件全部で言えるけど、

このような悲惨な歴史は2度と繰り返しちゃダメだし、だからこそこうやって施設にしたりして後世に伝えていくことが大事だと改めて思った。

 

このブログを見て少しでも何かを感じる人が増えたらいいと思うし、実際にカンボジアに行くってなってくれたら嬉しいし、自分の目と耳で感じて欲しいな。

 

 

キリングフィールドの中央には慰霊塔があり。約9000人の頭蓋骨が収められています。

 

 

最後に亡くなった方達が安らかに眠れるようお花を捧げ、今後このようなことが2度とないよう願い、また旅にでる。

後世に残していくのは大事
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