おはよっ☀️

実はアンコールワットで有名なシェムリアップから、カンボジアの首都プノンペンに移動してきました!!!

 

なんとプノンペンの宿一泊500円なんだけど、、、、、

 

プールついてるーーーー(≧∀≦*)b.:゚+イェイ♪

(足のサンダル焼けやばい笑)

きて初日で友達いないから1人で入る、、、、、、(あっこいつメンタル強い)

 

午前中はプールとプールサイドでゆっくりして、午後からはプノンペンに来た目的の

「トゥルースレン虐殺博物館」と「キーリングフィールド」に行って来たよ!!!

 

以下結構悲しい&グロテスクな話になるので、苦手な方は今回の記事は読まないでください。

トゥルースレン虐殺博物館で学ぶカンボジアの悲しい歴史

 

トゥルースレン虐殺博物館はプノンペンからちょっと遠くにあるんだけど、プノンペンに行ったら絶対にいくべき。

 

カンボジアの血塗られた歴史

まずはカンボジアの血塗られた悲しい歴史について少し説明。

皆さんはカンボジアの大量虐殺の歴史について知っていますか??

1975年〜1978年の約3年間にクメール・ルージュ政権(カンボジア共産党)によるジェノサイド(大量虐殺)があったんです。

この3年間のうちに約200万人が惨殺された。。。

(当時のカンボジアの人口の3分の1)

約40年前だよ、、、、、しかも人口の3分の1って、、、

 

ここで最初にこの当時のカンボジアの背景を知っていて欲しいので書いときます。。。

 

1970年。ベトナム戦争の戦火が隣国のカンボジア内に飛び火し、アメリカの空爆によって農村部の数十万人が犠牲になり、国内難民が100万人が超えた。カンボジアに投下さえた爆弾の量は第二次世界大戦でアメリカが日本に投下した爆弾の量の3倍だったと言われてる。

 

そんな当時のカンボジア国内では、

 

アメリカの言いなりだった当時の政府

VS

反政府組織のポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)

 

という内戦が勃発していた。カンボジア国民は当時の政府に不信感を抱いていたので、クメール・ルージュは力を徐々につけていった。

1975年 カンボジアを苦しめていたベトナム戦争が終戦。

アメリカが撤退し、アメリカの言いなりだった当時の政府は力を失い、クメール・ルージュはカンボジアの政権を奪った。

 

そして政権を奪ったクメール・ルージュが掲げたものは

「原始共産主義」という階級も格差もなく、人間が紙幣や学問、宗教、科学などのものを持っていなかった時代。

つまり原始時代を理想とする思想だった。

 

クメール・ルージュの最高責任者ポル・ポトは最初に通貨を廃止し、カンボジアに住む全ての人の財産や身分を略奪した。

戦争による食糧危機をどうにかするため、都市部に住む人々や難民を強制的に農村部へ移住させ農業を強制的にさせた。

この農村部への移動でも多くの人が飢餓で亡くなったという。

 

次にポル・ポトがした事は「知識人の根絶」

原始時代に戻ろうとしているんだから、知識のあるやつは殺してしまおうと考えた。

医者や教師、技術者。本の読める人、メガネをかけている人、手が柔らかい人(農業してないから)などを次々に捕らえ殺していった。

 

その捕らえられた人を収容していたのが、

この政治犯収容所施設。現在の「トゥルースレン虐殺博物館」

当時の名前は「S21」

簡単な説明だったんですけど大体の歴史はわかりましたか、、、、???

 

トゥルースレン虐殺博物見学。衝撃のあまり言葉を失う

簡単にカンボジアの歴史がわかったと思うので、実際に回って行く。。。

 

まずついたら音声案内の機会がもらえて、その音声に従って移動していき、説明を聞いていくスタイル←この制度めっちゃよかった(主要国の音声は大体あったよ!もちろん日本語も!)

 

元々学校だったところを収容所に変えたから、確かに見た目は学校。。

音声ガイドを聞きながら、回る、、、、

 

 

中は当時の写真がこんな感じで飾ってあった。。

当時の様子や、実際に収容された人、看守をしていた人たち。

笑顔の写真は無く、写ってる人は悲しげな人ばっか、あまりにもグロい写真もたくさんあった。。。

 

このブログにはあまりにもグロい写真は載せない(人的に載せちゃいけないと思う)ので自分の目で見て何かを感じにいってくれたらいいな。。。本当に人それぞれいろんなことを思うと思う。

 

当時の様子の絵

人間扱いされていない。

 

 

数ある拷問方法のうちの1つの様子。

なぜ拷問するのかというと、もともとこの人たちは「知識人」ってだけでここに連れてこられた人たちなわけで(知識人と言っても大抵の人たちは文字が読めるとか、技術者とかその程度)罪はないんです。

 

ただ単に裁くための理由が必要なんです。「政府に反逆しましたとか、逃亡を企てましたとか。」

だから、クメール・ルージュは罪のない人に拷問して無理やりやってもない罪を自白させていた

 

自白したら速攻「キリングフィールド(処刑場)送り」

*キリングフィールドについては今度書きます

 

つまりやってもいない罪を

自白しなかったら拷問

自白したら処刑場送り。

 

当時の様子を音声ガイドで聞いていたけどほんとに酷かった、、、

最初は殺されたくないから拷問を耐えるものの、死んだほうがましだとなり嘘の自白をして殺されていく、、そんなことがおこっていたという。。

 

拷問の様子を表した絵と拷問部屋

 

様々なエピソードの1つ1つが心に突き刺さったけど、1番印象に残った話をするね。。

 

当時この収容所「S21」の看守(つまり拷問をしていた人たち)は全員少年だったという。。

「こいつらは悪い奴らだから拷問して当たり前なんだよ?」って教育(洗脳)していたんだって。

 

だから看守(少年達)は喜んで楽しんで、罪もない人を拷問していたんだって。。

数少ない生き残りの人のエピソードによると、トラックに乗せられ「S21」に連れられてきた時、看守たちが大声で笑っていたらしい、、

「また獲物が来たぞーーーーーーー!!!!!」って。。

 

この話を聞いた時、「人間ってなにかルールを作れば簡単に人を殺してしまう生き物なんだ」って思った、、、

これが正解これが正解、それは正しいことだよ?って教えられ続けていたら、自分だってそうなっていただろうし、教育ってか洗脳はほんとに恐ろしいことだと思った。。

 

戦争の時だって簡単にいうと「あいつらは敵だ」ってだけで殺しあってたんだもんね。。恨み復讐もあるだろうけど。

 

だからこそ色んな価値観や考えに触れてみることって、めちゃめちゃ大事だと拓磨は思ってるな。色んな生き方、価値観、考え、、、様々なものに触れてみて見てみて感じてみて自分なりの答え信念生き方を出すのが良いんだと拓磨は思っている。

今は情報が世の中に溢れかえっていて、知ろうとすれば知れる。行こうとすれば行ける。見ようとすれば見れる。んじゃやるしかないっしょ!!!

って考えでバックパック背負ってここに来た。

 

あと最後に看守をしていた少年の言葉も印象に残ったから紹介するね。

 

「最後の方にはこれは正しいことではないとわかっていた。しかし誰があの状況で自分と同じ行動をしなかっただろうか?」

集団の中の人の弱さを表す言葉だなって思った。。

少年と同じ状況、生まれだとしたら、誰もが皆同じ行動をしたと思う。

そのように育てられて来て、反逆したら殺されてしまう状況の中で、少年と違った行動はきっと誰もが取れないと思う。。

 

ある意味少年たちも被害者だよね。。

 

この「S21」が機能していた約3年間の間に、

約2万人の人が収容され、生き残ったのは「たった7人

 

⬆︎トゥルースレン虐殺博物館の慰霊碑

 

こんな悲劇が2度と起きないこと、

亡くなった数多くの人が安らかに眠れるように心から願っています。

 

 

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